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時間を戻せるなら2年前の4月に戻りたい

件名は、今日スポーツ新聞に載った、
荒磯親方・元稀勢の里の記事。

切ない。
切な過ぎる。

元稀勢の里とも書きたくない。

引退を決めた日、こゆきまるはインフルの高熱でうなされており、
頭が正常に働いていなかった。
本当に引退したのか?!?!
今でも信じられない。

当ブログでもそろそろ稀勢の里引退について書きまとめなければ…と思いつつ、
自分で気持ちのけじめがつかず、
要するに諦めきれていない部分があり、
しかしそれを声にするのも憚られるような気もしていたのだが、
荒磯親方がこのような心情であるのなら、
私も言いたい。
諦めきれないぃぃぃぃぃぃぃぃ。
今でも白まわしを着けて稽古場へ出て、
これで高安と取って何勝何敗とか数字が出たら、
春場所も出られるのでは???と思えてならない。


スポーツ報知記事 ↓↓↓

 ―引退した心境は。

 「稀勢の里としては悔いなし。でも萩原寛という一人の人間としては、まだまだ悔いあり。相撲が好きだから、取れなくなるのは寂しい。40歳までやりたかった」

 ―横綱昇進の感想は。

 「初めて綱を腰に締めた瞬間、全ての感情がぶっ飛ぶほどにうれしかった。日本人として最高の気持ち。常に夢見心地で土俵入りなど全てが幸せだった」

 ―新横綱の2017年春場所で負った左大胸筋のけがは重かったのか。

 「(13日目の)日馬富士戦で『ブチッ』という音が聞こえた。左突き落としを狙ったときで、あの音は忘れることができない。左腕を遠くへ持っていかれるような感覚。痛みも相当だったし断裂もしていた」

 ―負傷後の2場所の強行出場が裏目だった。

 「それまでの自分は休場が1日しかなかったから、休む発想がなかった。4場所休んで翌年1月の初場所が勝負と思えていたら…。時間を戻せるのならば2年前の4月に戻したい」

 ―進退を懸けた初場所前の心理状態は。

 「布団に入れば2秒で寝る自分が、場所前の夜はなかなか眠れなかった。スーツを買っている夢で目が覚めて『違うぞ、違うぞ。駄目だ、駄目だ』と言い聞かせていた」

 ―横綱在位は約2年。

 「15年かけて横綱になったが、この2年間は同等に思えるくらい長かった」

昭和力士育てたい ―力士に望むことは。

 「古くからの力士像というものがある。黙々と相撲を取って人気があるような、昭和を思わせる力士を自分は育てたい」

 ―思い描く親方像は。

 「これからは自分の意見や考え方を外へ出していかなければ。勉強が必要なので哲学書や小説、啓発本など段ボールだらけになるほど本を買っている」



スポーツ報知の元記事は削除されていました。
共同通信のインタビューに答えた記事で、同じ内容のものが
デイリースポーツには掲載されています(20190207)



怪我をした直後、怪我との付き合い方は分かっているの???
と危惧した。
何しろ、2014年の初場所、右親指の怪我で千秋楽を一日休んだだけ。
小さい怪我は色々あっただろうけど、大きな怪我は聞いたことが無かった。
相撲の取り方をも変えないといけないような大怪我をしていなかった。
でも横綱だから、周りがちゃんとするよね、
一流のメンタルフィジカルの先生もついているよねと思いたかった。

そうじゃなかった…本人任せだった。
親方も止められるだけの力を持っていなかった。

危惧していたことが本当になってしまった。

その年いっぱい休んで、一流のお医者様に見て貰って、
左が使えないなら相撲の取り口を変えるくらいの覚悟で、
他を鍛えるべきだった。

後援会にも入っていない一ファンは歯噛みをするしかなかった。

横綱昇進を決めた初場所と、その後の春場所、
本当に稀勢の里は強かったんだよ。
もっともっと強い稀勢の里を見ていたかったよ。
私も40歳まで相撲を取っている稀勢の里を見たかったよ。

諦めきれない…。


2014年初場所、千秋楽国技館で、
稀勢の里が休場と知り、稀勢の里のいない喪失感がとても強かった。
クリック⇒稀勢の里のいない喪失感

怪我を押しての2014年綱取り場所。
1月13日 稀勢の里 時事
(時事ドットコム記事より)


この怪我は何とか乗り越えたんだけど、
次の大怪我、左に拘る人にとっての左胸、腕は致命的だったんだね。。。


次の記事では強かった稀勢の里の思い出を振り返ろうと思います。
(時期未定)



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