小山三さんご葬儀
勘九郎七之助は、浅草の平成中村座の舞台のため、
小山三さんの弟弟子の小三郎さんがい遺族代表の挨拶をしたそうだ。
位牌を持つ七緒八くんの画像。
泣けてくる。

(サンスポ)
お弟子筋のヒトなのに、ご葬儀にもそうそうたる顔ぶれが揃ったそうだ。
大名題の方々も見えたそうで。
戒名は、『春雷院鳳舞山翁居士(しゅんらいいんほうぶさんおうこじ)』
院号ですか、良いお名前つけて貰いましたね。
七緒八クンの画像でうるうるしている上に、
中日新聞の記事を見つけて、泣けてきちゃった。。。
中日春秋
その襲名を周りは止めたそうである。姓名判断では「これは出世止まりの名です」。「出世しませんから結構です」とそのまま選んだ。歌舞伎役者の中村小山三(こさんざ)さんが六日亡くなった
▼現役最高齢の九十四歳。どんなに短い出番でも、舞台上で役者を助ける後見だろうと、その役者が姿を見せれば、客席は沸いた。姓名判断の見立てもしくじるほどの「大出世」と声を掛けたい
▼一九二四(大正十三)年、四歳で米吉の十七代中村勘三郎に入門。十八代勘三郎さん、勘九郎さんと七之助さん兄弟の中村屋三代に仕えた。長い芸歴で身に付けた経験と知識は中村屋のみならず歌舞伎界全体にとっての口うるさい「生き字引」であった。「うるさいと言われるけど、神経使って芝居をやっていれば、うるさくもなる」
▼飄々(ひょうひょう)とした印象だが、努力と工夫の人に違いない。当たり役の「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」の女中お咲。斬られる。緋色(ひいろ)の帯揚げがはらりと自然に垂れる。不思議である。「企業秘密。手品よ。ずいぶん研究したんだから」(『小山三ひとり語り』)
▼「人生を堪能した」と書いているが、勘九郎さんの長男七緒八(なおや)ちゃんの初舞台だけは、気にしていたという。「それまでは頑張りたい。それがここに仕えた務めだから」
▼喪主は勘九郎、七之助とある。長い人生を中村屋と芝居に捧(ささ)げた役者の堂々たる幕。天涯孤独とは言うまい。
改めてご冥福をお祈り申し上げます。
寂しいなぁ……。

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