稀勢の里9年ぶり日本人賜杯へ持ち味復活
しかし、もうこっそり応援する時は過ぎたのだ。
もう29歳になるんだもん、
経験も苦労も失敗も成功も山ほどしてきてるんだから、
今更ガラスの稀勢の里なんて言わせちゃダメ。
今年は何が何でもやる!
考えすぎて動けないとかいうのはダメ!
やるっきゃない稀勢の里なのだ。
昨日の碧山戦の押しは良かったぞ

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稀勢の里9年ぶり日本人賜杯へ持ち味復活
「最強大関」の看板は、御免こうむります-。大関稀勢の里(28=田子ノ浦)が、難敵の関脇碧山(春日野)を押し出しで下し4勝目を挙げた。徹底した、はず押しで197キロの巨漢を攻め続けた。歴代大関の中でもNO・1のデータを残す和製横綱候補が、日本出身力士9年ぶり賜杯に向けてまい進する。
一瞬、目の前の難敵が視界から消えた。立ち合い、右から張って押し込んだ白房下。碧山ののど輪押しをこらえ攻め込んだ稀勢の里だが、右にいなされ体を入れ替えられた。だが、ぐらつくどころか左に回り込んだ巨漢を追い続ける。ひるんだ碧山の引きに乗じて、一気に押し出した。
研ぎ澄ませた集中力は、支度部屋に戻っても切れなかった。髪結いの最中、白鵬のヒヤリとさせた一番が頭上のテレビで流れる。それにはいちべつもくれずジッと目を閉じたまま。「そうっすね」「うん、まぁ」「(張り手は)たまたま」と短く答えるだけだった。
大関の胸中を代弁するかのように北の湖理事長(元横綱)が言った。「1つの壁だった。ここで勝つと負けるのとでは(今後の)調子が変わってくる」。何しろこの1年は1勝4敗で連敗中。先場所の一番は「どうしようもない負け方」と話す難敵だっただけに、山を1つ越えた格好だ。
大関在位中の成績で「最強」のデータが示される。だが精神面のもろさが指摘され、何度も期待を裏切ってきた。いつしか強みの突き、押しの影が薄れ、四つ相撲への迷いが生じたのも一因。それが新年を機に、原点回帰への思いを強くした。「見てて下さいよ、初場所から。形どうこうでない。もうアホみたいにやるしかない」。冬巡業で口にした決意だった。
昨年12月14日、東京・小岩で部屋開きがあった。間借りしていた墨田区内の部屋から、真新しい部屋へ。これも気分転換になった。小岩で生まれ育ったのが、今から60年ほど前に「栃若時代」を築いた第44代横綱の栃錦。JR小岩駅構内には銅像があり、稀勢の里は見に行った。当時、栃錦の優勝パレードを見た地元商店街関係者は、興奮の再現を稀勢の里に期待する。さらに日本中が、06年初場所の栃東以来となる和製優勝力士の誕生を待っている。【渡辺佳彦】

(相撲協会公式)
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